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 桃山時代の刀
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私の父が残してくれた備州 長船祐定の短刀(以下、刀と記載)です。
裏銘には、「天正10年8月」とあります。 天正10年(1582年)と言えば、6月に本能寺の変で織田信長が明智光秀に討たれ、山崎の戦い、さらに清州会議が行われた時です。また、同年1月には伊藤マンショ、千々岩ミゲルらがビャリニャーリとともに遣欧使節としてヨーロッパに向かったそうです。
激動の安土桃山時代に造られた刀ですが、その作風はシンプルで、波紋はとても穏やかです。おそらく、女性(お姫様かしら)が持っていたものではないでしょうか?

 私が子供の頃、父が日本刀の手入れをしていて、必ず 私に日本刀を持てせてくれました。私は背筋をぴんと伸ばして緊張した面持ちでずっしりと重い刀を持ったものです。日本刀は、今 持ってもやはり重いですね。室町時代以降の武士は、大小(打刀と脇差)2振りを挿したとのことですが、かなり重かったはずです。 こういった経験のおかげで私は刃物が大好きです。現在でもカスタムナイフや和式ナイフを日頃使って愉しんでいます。例えば、やきもの造りで、ろくろ成形後に高台を削るために松の木べらを使いますが、使う前に和式ナイフで木べらをサッと削って鋭利にします。また、鶏肉の料理の時には、ドロップポイントのナイフで肉片を細かく切って喜んでいます。
 しかし、私には日本刀を観る感性はないようです。東京国立博物館の名刀と言われるものを見てもピンとくるものが全くなく、「いいな」とは思わないのです。こればっかりはどうしようもありません。 それでも日本刀を勉強しようと、最近 岩波新書から限定復刻された「日本刀」本間順治著を読んでいます。この本は、1939年当時の文体や旧漢字がそのまま印刷されていて読むのに苦労しています。近い将来、コロナウイルスが終息したら 両国にある刀剣博物館にも行ってみるつもりです。新たな発見があるかもしれません。
さて、上記短刀の特徴は、以下の通りです。 地鉄(じがね)は、板目肌に、部分的に杢目(もくめ)が出ています。杢目とは、制作工程の折り返し鍛錬によってできた年輪のような文様です。これはよっぽど注意して見ないとわかりません。まして展覧会で窓ガラス越しに離れていてはわからないでしょう。波文(上記写真参照)は、互の目(ぐのめ)の皆焼刃(ひらつらば)という分類のようです。切先の波紋は「返りが深く」なっています。棟は、断面が三角形の庵棟(いほりむね)です。こんな風に、日本刀には見どころがあって詳細に分類されています。
 やきもののように、次から次へと興味が尽きず視野や研究対象がその枠を超えてどんどん拡がっていくと良いのですがーーー私にとっては、やきものを含めて桃山時代がキーワードです。現在の大河ドラマ「麒麟が来る」も楽しんでいます。斎藤道三の刀の拵(こしらえ)は、柄まきがビビッドな赤色、金色で四角い鍔(つば)、そして鞘が黒色でなかなかカッコいいですね。
日本刀はまさしく日本の貴重な文化遺産でもあります。しばらくは私が大切に保管し、将来、私から長男に継いでいくつもりです。

天正10年8月の銘
 短刀の裏銘 「天正10年8月」とある

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