唐津の陶芸家
十数年前 たびたび北九州に出張することになり、その都度日程を調整して唐津の陶芸家を訪ねました。
実は 本来の仕事よりもやきもの探訪に力が入っていたようです。
岡本作礼氏の作礼窯、梶原靖元氏の飯洞甕窯、浜本洋好氏の三里窯、川上清美氏、そして西岡良弘氏の凌雲窯などを訪問しました。
(なお、作礼窯訪問のエッセイは 作品紹介 唐津2の冒頭に掲載しています。)
唐津の陶芸家の中で 特に印象的だったのが西岡良弘氏です。
前日は唐津の洋々閣に泊まりました。夕食は "さよ姫"という離れの部屋で唐津の器に盛った海の幸をいただき、それは素晴らしい時間を過ごしました。
当日 西岡小十氏の窯を訪ねるつもりだったのですが 連絡がつかず、洋々閣にて西岡良弘氏の凌雲窯を紹介してもらいました。
凌雲窯では 若い良弘氏が親切に対応してくれました。
この時、 西岡小十氏が数年前に亡くなったこと、良弘氏は父から勘当されていたこと(もちろん理由を詮索しません)、
もう一人の息子が 父小十氏が収集した古唐津の陶片コレクションをすべて内緒で売ってしまったこと、
しかし不思議な縁でコレクションの一部が良弘氏の元に戻ったことなどを、淡々と話してくれました。
展示室には作品は数点しかなくて、いたしかたなく窯を案内してもらうと 窯の周りがきれいに掃き清められていて窯焚き直前であることがわかりました。
高さの低い登窯の上に斑唐津と朝鮮唐津の向付が置かれているのを見つけ 購入するつもりで聞いたところ、「不完全なものなので再度焼成するともりだ」と言う。
「どうしても譲ってもらえないか」と言うと、「売れるレベルのものではないが これならば何とか使えるだろう」と言って
斑唐津の向付2点と朝鮮唐津の向付1点を選んでくれたのでした。
自分の作品に対して厳しい目を持っており、良いと思ったもののみを世に出すという姿勢に驚きました。
なぜ こんなにも素晴らしい息子さんを父は勘当したのだろうか?
福岡への帰途、まだまだ素晴らしい若人がいて 世の中は捨てたものではないなと思いました。
上記写真の向付は この時いただいたものですが、私は今でも素晴らしい器だと思っています。写真2枚目の左は、良弘氏の父 西岡小十氏の斑唐津茶碗です。