雲洞庵の参道
遥か坂戸城址

兼続の故郷 六日町

2025年12月投稿

雲洞庵と坂戸城
火坂雅志著の天地人を読んで、上杉景勝と景勝を生涯支えた直江兼続に興味を持ちました。そして2025年10月下旬、兼続が幼少時代を過ごした新潟県魚沼の雲洞庵と坂戸城跡を訪れました。
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 雲洞庵
上杉謙信の養子 上杉景勝と直江兼続が少年時代に学問を学んだ寺です。なお、兼続は景勝よる5歳年下です。 当時の武将は禅寺で学ぶのが通例であったようです。
 雲洞庵の歴史
717年に藤原房前が尼僧であった母の菩提を弔うために建立しました。その後、室町時代に関東管領 上杉憲実が庵を受けて開創し本堂を建立しました。現在の本堂は江戸時代 宝永4年(1707)に再建されたものです。

赤門

昔は 皇室関係者や大名の来山以外には年に一度しか開門されない「開かずの門」と言われたようです。現在は開かれていて赤門から本堂にいたる石畳を歩くことができます。

石畳「雲洞庵の土踏んだか」

敷石の下には法華経が一石一字ずつ埋められていて、1年に一度赤門が開いたときにこの経石を踏みしめてお参りした人々がそのありがたさに喜んで「雲洞庵の土踏んだか」という言葉が生まれたそうです。

鐘楼、仏舎塔

石畳の左側には鐘楼や仏舎塔があります。
仏舎塔は現代的な意匠の建築です(写真2)。

本堂

参道から本堂への石橋はかなり苔むしています。
本堂へは右の建屋から入ります。中はとても広く、かつて多くの禅僧がいたのではないでしょうか。
御朱印をいただきました。「雲洞庵の土踏んだか」の文字があります(写真3)。

苔と巨木

本堂の前や裏には池があって湧き水が豊富です。このため湿度があるようで境内にみずみずしい苔が広がって幽玄緑色の世界です。
写真3は駐車場から撮影しました。杉の巨木に圧倒されます。

 坂戸城
冒頭の写真で柿の木の背景左端の山が坂戸山です。
直江兼続は永禄3年(1560)に六日町の坂戸城下に生まれました。幼名は樋口与六という。当時の坂戸城主は長尾政景。政景の次男が上杉景勝です。
広々とした平地に「家臣屋敷跡」の石碑があります。 城主の居館があった御館(Ontate)には、「史跡坂戸城跡」の石碑を中心に土塁や石垣が見られます。 また、景勝、兼続生誕地を記す石碑があります。
中腹の一本杉で展望が開け、六日町市街が眺められるようになります。 「城坂」の石碑があって、ここから道はつづら折りになります。けっこう厳しいが、登るにしたがって魚野川を挟んで六日町の市街、そして十日町に至る西方の山々が眼下に望まれるようになります。昨今の熊による被害が恐ろしいのと、雨が降ってきたもあり4合目で登頂を断念し、引き返すことにしました。

坂戸城跡の地図

歩き始めると早速、家臣屋敷跡の石碑があって気分が盛り上がります(写真2)。立てかけた木刀については後述します。

御館の石垣や石碑

石垣に立てかけた木刀の長さは102cmです。大きな石です。
御館からしばらく進むと、上杉景勝、直江兼続生誕地を記す石碑があります。

一本杉から城坂へ

きつい城坂を登るにつれて展望が開けてきます。

 木刀のこと
写真に写っている木刀は、2015年に上越市の春日山城址を訪れた時に記念に購入したものです。 今回、上杉謙信にゆかりの地を訪問することと、熊に遭遇したときのことを考えて持ってきました。何か武器になるものがないと不安です。
知人に熊が怖くて木刀を杖がわりにして登山をしたと言ったら、笑われました。しかし、本人は至って真面目です。