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塩沢つむぎ記念館
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2025年10月、上越線の新潟県塩沢駅の近くにある塩沢つむぎ記念館に行きました。 1階は塩沢つむぎの展示と土産売り場で、2階には織工房があります。店の人から塩沢つむぎの説明を聞きながらお土産を選びました。塩沢の織物には、麻織物の越後上布、絹の塩沢織、本塩沢(絹)や夏塩沢(絹)の4種類があります。私は正直あまり区別がつきません。 特に、越後上布は奈良時代より伝わる塩沢の麻織物であり、昭和30年に国の重要無形文化財に指定されています。越後上布の展示品を観ると、値段はともかくとして夏に着る素朴な織物といった印象でした(冒頭の写真)。 良く喋る店の人によると京都大原三千院~の「女ひとり」の歌詞にも塩沢つむぎが歌われているとのことで、後日調べると
三番に「京都 嵐山 大覚寺  恋に疲れた女がひとり  塩沢がすりに 名古屋帯  」とありました。
 お土産コーナーには塩沢織を使ったいろいろな製品があって楽しめました。小銭入りや財布に良いデザインのものがありました。 私は、足の甲の部分に塩沢織を、中敷きに畳表を使ったスリッパを購入しました。また、本塩沢の端切れを反物の幅で長さ20cmで切ってもらい購入しました。おまけに蚕のまゆがついていました。蚕のまゆを観るのは初めてです。購入した端切れはやきものの桐箱の上蓋カバーに使う予定です(後述します)。
 近くには鈴木牧之(Suzuki Bokushi)記念館もあります。こちらは見学せずに建物と記念碑の写真を撮りました。 牧之は越後の雪深い生活を伝えるために40年の歳月を費やして天保8年(1837)に、山東京山(山東京伝の弟)の協力を得て 「北越雪譜(Hokuetu Seppu)」を世に出しました。山東京伝、曲亭馬琴、十辺舎一九らの文人と交流したようです。まさに、昨年の大河ドラマ「べらぼう」の時代に生きた人なんですね。
北越雪譜の現代訳**で越後縮(Etigo Tijimi)に関する章を読みました。以下、抜粋と解説です。現代では使われなくなった言葉の説明もあって貴重です。「 」は章題です。
 「越後縮」---越後縮は越後国の特産品ではなくて、魚沼郡だけにできるものなのだ。小千谷、十日町、六日町を中心に生産される麻織物のことを越後布、又は越後縮とよんだ。横糸に強くよりをかけて縮みをもたせたものを越後縮と呼ぶことがある。そのうちで上質なものを越後上布と呼んだ。江戸時代、上質な夏着用の布として人気が高かった。越後縮は会津産のカラムシ(苧麻 Tyoma)を用いたが、カラムシを用いた布は上流階級のもので、庶民は大麻でつくった布を使用した。
 「績み(Oumi)」---麻を長い糸にし、よりをかける作業のことを"績む(Umu)"という。それに対して、木綿や羊毛から糸を造る作業は"紡ぐ"という。さらに、繭から糸をつくる作業は"糸を引く"、"糸を繰る"と呼んで、それぞれを区別した。
 「糸に撚る」---雪中に糸をつくり、織り、雪水にそそいで雪上に晒す。雪あってこその縮であり、越後縮は雪と人との合作である。
 「機織り女」---麻を績むことからはじまって、織り、晒しを考えると、形にするまでにどれほどの手数、苦労がいるものかおわかりだろうか。だから現代の価格にすると大変なことになる。
 「縮市(Tijimi Ichi)」---市は4月のはじめ、堀之内、小千谷、十日町、塩沢の順で開かれる。十日町には京、大阪、江戸の呉服問屋の定宿がある。市の日には遠近問わず村々の人々がやってきて、縮の買い手と値段交渉をする。縮をつくる家は、半年あまりこの日のために苦労したのだ。
**「北越雪譜 鈴木牧之」現代語訳 池内紀 小学館 地球人ライブラリー 1997年

さて、着物の端切れの活用について述べます。私の母は着物の着付けの指導をしていたこともあり、実家には着物の端切れがけっこうありました。それを四角に篝縫いをして桐箱の上蓋のカバーとして活用しています(最下段の写真参照)。新品の桐箱には保護用の和紙が付いていますが、古くなってシミが出たり朽ちたりします。このカバーがないと真田紐を縛るときに柔らかな桐の上蓋に爪があたって傷が付いてしまいます。また、桐箱がたくさんあるときにこの端切れの種類によって中身を把握することができます。


塩沢織の4種類
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塩沢織のスリッパ
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本塩沢の端切れを購入
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鈴木牧之記念館の案内
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着物の端切れを活用
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