勝常寺の薬師堂
薬師堂の屋根

会津の仏像(勝常寺)

2025年10月投稿

アプローチ
「会津に魅せられた作家たち」笠井尚著 歴史春秋社1995年を読んでいたら、唐木順三の「あづまみちのく」の中で会津に身を寄せた徳一和尚と湯川村勝常寺の仏像 薬師如来像、聖観音菩薩像や地蔵菩薩像を紹介していました。 さらに、保田与重郎は戦前の「勝常寺紀行」のなかで、会津で優れた仏像を拝んだことが大きな収穫であったと書いています。
勝常寺を調べてみると、やきものの地である会津本郷から北に向かって車で30分程度で行けることがわかりました。いまだ猛暑のおさまらない8月末でしたが、平日9時30分に仏像の拝観の予約をして行くことにしました。

 勝常寺
やや小さな仁王門をくぐると、立派な薬師堂が見えてきます。薬師堂は横に長く、両端の屋根の跳ね上がりが見事です。実物のような迫力のある写真を撮ろうと試みましたが、なかなか難しい。
 勝常寺は平安時代の807年(もしくは810年)に奈良の僧 徳一が開創した伝えられます。徳一は空海や最澄と交流があった学僧です。平安時代の弘仁年間(810~825年)に東北で布教に努めたと伝えられます。当時、奈良の大寺院に所属する僧侶が、地方で布教活動を行う過程で中央の仏教文化が広まったと考えられています。創建当時の建物は火事で焼失して残っておらず、現在の薬師堂は室町時代1398年に再建されました。それでも歴史と風格を感じることできます。

仁王門

大きなわらじが掛かっています。
こちらの仁王像は親しみやすい愛らしいものです。藁の「まわし」をしています(写真2)。

薬師堂

写真1は仁王門をくぐって見た薬師堂です。
写真で薬師堂の大きさやその迫力が伝わらないのが残念です。この中に薬師如来坐像があります。
下段の写真3は大屋根の端の跳ね具合を強調して撮ってみました。

本堂と田園の風景

少し離れたところに真新しい本堂があります。
本堂の裏手には素晴らしい田園が広がっています。 ここは会津盆地の中で北に飯豊山、東に磐梯山を臨みます。
写真2は西方の景色です。
写真3は北方の景色で、右端の森は勝常寺の境内です。はるか飯豊の山が霞んでいます。早春の頃にはさぞかし雪の飯豊山がきれいだろうと思いました。

 仏像 薬師堂にて
予約の時間になり、若いお坊さんが薬師堂と観音堂(宝物殿)の中を案内してくれました。 薬師堂には、薬師如来坐像(国宝)と十二神将があります。
●薬師如来座像は普段布を掛けており、それを上げてくれて近づいて観ることができました。 肩幅の広いがっしりとした体でややエキゾチックというか、カンダ―ラの石仏ようなおもかげを感じました。口元は小さく、耳が大きく、螺髪(らほつ)の一つ一つが大きな木の実のようです。けやきの一木造りで平安時代初期の作とのことです。奈良時代から平安時代にかけて都の周辺では木彫用材としてカヤが主流でしたが、その分布は関東を北限としているそうです。このため地元の良材のケヤキが用いられたようです。 お坊さんは、「おそらく奈良からこの地に来た仏師が造ったのではないか」と推測していました。徳一和尚が都の仏師を招き、会津の人々と共同して造仏にあたったというのはロマンがある話ではないでしょうか。
 本来、薬師坐像の左右に置かれているはずの月光菩薩像、日光菩薩像は宝物殿にあります。お坊さんは「薬師如来像が国宝に認定されたときに、薬師堂が木造であり火災による焼失を避けるためにほとんどの仏像をコンクリート造りの宝物殿に移した。しかし、薬師堂に仏像がないのもおかしいので薬師如来坐像を残した」とおっしゃっていました。
薬師坐像の前には十二神将が配されています。十二神将はまるで中国の兵馬俑の兵隊のようです。また、十二神将の背後には徳一和尚の石仏が置かれており、こちらはさらに厳しい顔立ちに見えました。

御朱印

御朱印をいただきました。文字が読みずらいのですが
薬師如来
勝常寺
と書いてあります。

 仏像 (2) 宝物殿にて
勝常寺には30体の仏像があり、平安時代のものが12体も保存されています。 宝物殿はまさに仏像を保管するための建屋です。
●特に、月光菩薩立像、日光菩薩立像(ともに国宝)の説明は興味深かった。 ともに立像ですらっとしていて足が長い。お坊さんによると「この2仏は仏師が異なり、左の月光菩薩像はおそらく薬師如来坐像と同一の仏師によるものではないか」と言う。 確かに、右に配された日光菩薩像はやや繊細な造りであり、左に配された月光菩薩像は腰回りや太ももが太くしっかりした造りで、腰を少し捻っている。
●四天王像は3体のみで、残りの1体は上野の東京国立博物館に常設としてに貸し出しており、すでに40年になるという。
●聖観音菩薩像は左肩から斜めに掛けた布(じょうはく)に特徴があるらしい。一般には左肩からお腹に掛かっているが、この菩薩像では腰のあたりまで下がっている。こういったところに当時の仏師のこだわりが見てとれると言う。 他にも重要文化財の十一面観音菩薩像や地蔵菩薩像があり、仏像の好きな方には至福の時間になると思います。
お坊さんは私の質問に丁寧かつ簡潔に答えてくれました。昨年の柳津の陰険な坊主とは大違いです。妻は帰りがけに「いいお坊さんだった。丁寧に説明してくれたね」と言っていました。
宝物殿の中で真剣に仏像に向き合いお坊さんから説明を受けていて、妻と私は汗だくになりました。 拝観を終えて宝物殿を出ると、元気で楽しい子供達の声が爽やかな風にのって聞こえてきました。小学校の始業式が終わったのでしょうか? ここは福島県河沼郡湯川村です。

宝物殿(観音堂)の外観

仁王門の右側に宝物殿があります。昭和35年に造ったそうです。

参考図書
1.会津に魅せられた作家たち 笠井尚 歴史春秋社1995年
2.勝常寺紀行 保田与重郎
3.みちのくの仏像 東京国立博物館2015年 特別展図録 --- 薬師如来坐像、月光菩薩像と日光菩薩像の詳細な写真を見ることができます。