向羽黒山城の三の丸
柳津の只見川と圓蔵寺
会津パールライン
法用寺の本堂

会津路 柳津から会津高田

2023年12月投稿

柳津から会津高田へ
会津盆地に来るといつも西すなわち会津高田(現在は会津美里町)の背後の山地が気になります。大袈裟かもしれませんがこの脊梁山地を越えて西会津に至るルートを辿ってみたいと思っていました。冒頭の最初の写真は会津本郷の山城 向羽黒山城の三の丸跡から西方を望んだ景色です。近くに会津本郷の町並み、そして遠く会津高田の町の背後に長い山稜が横たわっています。
2023年10月初旬、会津柳津からこの山地を通って会津高田に至り法用寺を巡りました。

 柳津 斎藤清美術館
斎藤清美術館の秋の企画展「絵の中にしかない、風景」が良さそうなので妻と二人で見に行きました。斎藤清は1970年から1990年頃に会津を描いています。この版画の中には、現在は変わってしまったものや、すでに失われた景観があります。 例えば、「稔りの会津(1)」の作品の風景は、只見川の奥に麻生大橋が開通して景観が変わっています。山王峠を行き交う旅人のための茶屋を描いた「会津の家(G)」の家屋は、2006年に奥会津博物館に移築されています。また、「会津の冬(82)柳津」に描かれた郵便局と商店街の路地は、2019年の火災により焼失してありません。
このようなノスタルジーを感じる版画だけではなくて、そのデッサン(スケッチ)も展示されており、デッサンからいかに単純化して版画を制作していったかがよくわかり参考になります。また、友人が益子で購入した会津の冬シリーズの版画と同じものが展示されていました。
 観覧後、美術館の脇の只見川の土手に上がって散策を楽しみました。コスモスの花やススキがすっかり秋の気配です。悠々と流れる只見川と赤い大橋、その奥には圓蔵寺の本堂を見ることができます。

斎藤清美術館

2枚目は企画展のパンフレットと購入したポストカード

只見川の風景

 柳津から会津高田へ(会津パールライン)
いよいよ柳津から南へ山間部を通って会津高田へ向かいます。しばらく県道59号の細い道を辿り山奥に入っていきます。冬はさぞかし豪雪で大変でしょうね。十字路を左折して会津パールラインに入り新鶴方面に向かいます。片側1車線の走りやすい道路になり、山中のワインディングロードを楽しみました。新しいトンネルを2つ抜けると下りになり、ときどき会津盆地が見えます。この季節、稲穂が実り鮮やかな黄金色の大地がきれいです。景色が開けた所で車を停めると、なんと手前には白い花をつけたソバ畑が拡がり、会津盆地の背後には磐梯山の山稜を望みます。今回は柳津から会津高田へ向かうルートで良かったと思いました。逆のコースであれば、会津盆地を背にすることになってこうした景色を楽しめなかったからです。
「蕎麦はまだ 花で饗応す(motenasu) 山路かな」  松尾芭蕉 わらじ

ソバ畑と会津盆地

パールラインの下り途中から望んだ風景です。
写真3は新鶴付近から西方を眺めました。

 再訪 会津高田の法用寺
2021年6月に法用寺を訪問してから2度目になります。旅を楽しむ「天海の故郷 会津高田」でも法用寺を紹介しました。今回は季節が違いますし、前回とは異なる所を見ていこうと思います。

銅鐘

朽ちかけた小さな仁王門をくぐると観音堂の右側に銅鐘(室町時代)があります。銅鐘は高い所にあって、その建物は骨格がむき出して華奢に感じます。

観音堂

大きく立派な観音堂の写真を何枚も撮りましたが、この角度が一番迫力があります。
写真2枚目---正面の庇を支える柱を向拝柱(Kouhaibashira)と言うそうですが、この太い柱は白く古色蒼然としています。どうですか?凄いでしょう。

三重塔

高さは20mもあって写真を撮るのに苦労します。
写真3枚目---三重塔の前は開けていて、秋の好天に恵まれ会津盆地と磐梯山を望むことができました。

御氷餅のつき跡

三重塔の奥にも社殿があって行ってみると、御氷餅搗址(Okourimochi Tuki Ato)の看板があって、その歴史は何と平安時代にまで遡るというから大した寺なのです。