鬼萩へのあこがれ

藤村小春さんの鬼萩茶碗をとうとう手に入れました。長い間 思い悩んだ末です。
茶碗がきて先ず行ったことは高台の畳付きをやすりで削る作業です。この茶碗は今まで全く使われなかったようで、畳付きに釉薬が鋭利になっていたり、小石が突出している部分があってこのままではテーブルにひどい傷がついてしまうような状態でした。金属やすりでガリガリとやっていたら、小石と一緒に釉薬が剥がれてしまい、胎土が出てきました。長石の小石の混じった褐色の土肌です。胎土を観察する良い機会なのでマイクロレンズで拡大して写真に残しておくことにしました(下記写真参照)。
一般的に白萩釉のやきものは使うとすぐに変化して汚れてしまう(萩の七化け?)ので、使う前に一通り 茶碗の部分写真を撮っておくことにしました。こうすれば今後の変化も記録することができます。
本茶碗の特徴について述べたいと思います。
白萩釉のネットリした質感が素晴らしいです。マット調で少しくすんだ白色をしています。この色は絵画で言えば、ユトリロの白い家を想起させます。
茶碗の内側や見込みに釉薬の大きな裂けめがいくつかあって胎土が見えます。幸いにこの裂けめに茶筅が引っかかることはありませんでした。
何と言ってもこの茶碗の白眉は4つに分割された大胆な割高台の形と釉薬にあります。小さな小石の混じった大道土に白萩釉がカイラギ状やネットリした粒状になっていてまさに鬼萩の名に相応しいと思います。
茶碗の側面は変化に富んでいて正面をいくつか設定できます。大きな釉薬の割れが水平垂直に走っている比較的おとなしい面や、多くのカイラギが出ている面があります。その日の気分で正面を決めるのも楽しみの一つです。
さて、鬼萩といえば何と言っても三輪壽雪ではないでしょうか?
2007年茨城県陶芸美術館に「三輪壽雪の世界」展を見に行って、すっかり虜になってしまいました。
当時96歳の陶芸家 壽雪の80年に及ぶ作品を一堂に会し180点もの作品が展示されました。展示の後半のほとんどは鬼萩割高台茶碗で、これでもかこれでもかと言うように出てきます。茶の湯の茶碗としては使えないのかもしれませんが、年とともにどんどん大きく荒々しい作品になっています。それらを観ているとこちらが元気になってくる、そんな作品でした。
この時の図録から壽雪の作陶姿勢を伺える言葉を紹介したいと思います。
「萩城跡の脇から海に降りゆくと、菊ヶ浜という浜辺があっての。日本海の場合は瀬戸内海や太平洋より、非常に普段波が荒い。少し風でもあると、本当に怒濤逆巻くような波になる。私はその雰囲気を、いつも吸い込まれるように佇んで眺めておるわけじゃ。何かあの日本海の怒濤の雰囲気が作品に生かされんものかと、こういった思いがあったじゃの。あの海の力強さが近年ようやく自分なりに表現できるようになったと思うとる。」
「ライフワークとしてじゃの、これからも茶碗作りに力を入れて行こうと思う。」
2006年3月何と96歳の言葉です。私も茶碗づくりを長く続けて行こうを思います。
最下段に図録の大迫力の茶碗を掲載しました。





