桃山に挑んだ陶芸家の系譜 加藤重高
志野に憧れるきっかけになったのが、昭和の陶芸界の巨匠 荒川豊蔵と加藤唐九郎の作品です。
1994年10月に名古屋市守山区にある唐九郎記念館を訪問し、唐九郎の作品に感化を受けました。
陶房というと山の中にあるイメージでしたが、唐九郎記念館は閑静な住宅地の中にあって予想が外れました。
このとき唐九郎の著書「唐九郎のやきもの教室(トンボの本)」を購入し、以後 この本を参考にしてやきもの造りを始めました。陶芸の技法だけでなくて何といってもやきものの見方を学びました。私にとってはバイブルとも言える本です。
その後も都内の展覧会で唐九郎作品(荒川豊蔵作品も同様)を観たり、できるだけ書籍(ほどんどは中古)を購入しました。
特に、雑誌 太陽 1996年11月の「特集 加藤唐九郎」は作品の写真が大きく、解説も面白くて堪能できます。この雑誌の中に「一に土、二に土、三に土」という記事(下記写真3)があり、唐九郎の三男 加藤重高氏が紹介されています。土探しから窯出しまで唐九郎はつねに重高をそばにおいて薫陶*した。とあります。私はこの記事を読んで重高という陶芸家が唐九郎の守山翠松園(唐九郎記念館)の窯を受け継いだことを知りました。そして、いつか重高氏の作品を観たいと思っていました。また、守山の土を使って穴窯で焼成した唐津や斑唐津の茶碗を手に入れようと思いました。
冒頭の写真は最近入手した加藤重高作の志野茶碗です。欲しいと思っていた唐津や斑唐津(こちらの方が市場に出回っている)よりも先に本命の志野茶碗を入手しました。姿形はまさに唐九郎のものを受け継いでいますね。まさに桃山の志野を想起させてくれます。高台が比較的小さいのも重高氏の特徴です。景色になっている4つの指跡もいいですよね。
よっぽど気に入ったのか、毎日この茶碗で一服し、他の茶碗を使う機会が無くなってしまったほどです。
* すこしくどいかもしれませんが、薫陶(Kunntou)について述べます。やきもの造りに関連していますので。もともとは香を焚いて薫りをしみこませ粘土を焼いてやきものを作ることですが、一般的には 優れた人格で人を感化して立派な人間を育てることとして使われます。
重高氏の著書を読むと、優れた人格で感化されたものとはかけ離れていたことがわかります。でも、唐九郎は自分のやり方で重高氏を育てたのだと思います。